
2019年、フィリピンの英雄でありボクシングで8階級を制覇した世界王者マニー・パッキャオ氏がGEMFOREXのブランドアンバサダーに就任しました。
正直GEMTRADEの時代から利用していた私としては青天の霹靂。
失礼ですが、まさかGEMFOREXがこの世界的有名人を広告塔として採用できるとは思ってもいませんでした(笑)資金力だけでなく高度な政治力もまた必要だからです。
今回はこのマニーパッキャオがブランドアンバサダーに就任した裏側について、たまたま日本に居たGEMFOREX広報担当の山本さんに直接取材。
この取材ではパッキャオ就任の経緯が知りたいなと思っていたのですが、それだけでなくGEMFOREX広報部の歴史を伺うことができ、予想外に濃密なインタビューとなりました!
そのため前半は、「GEMFOREXのと広報部の今まで」、後半が「GEMFOREXがマニーパッキャオ氏のスポンサーになった経緯」といった具合です。
それでは早速見ていきましょう!
GEMFOREX広報担当にインタビュー!パッキャオ就任の裏側

広報担当山本さん

初めまして、げむめしの楠(クスノキ)です、本日は宜しくお願いします。
GEMFOREX(以下 山本) : GEMFOREX広報担当の山本と申します。こちらこそ本日は何卒宜しくお願い致します。
本題に入ります!御社では現在イメージキャラクターとしてフィリピンの国民的スター、マニーパッキャオ氏を採用しておりますが、そこまでに至った経緯を教えて頂けますか?
山本: はい、かしこまりました。最初に弊社の歴史を簡単に振り返らせて頂けましたら幸いです。
弊社は、GEMFOREXの前身としてFX自動売買ソフト、通称=EAの無料提供プラットフォーム「GEMTRADE」というサービスを2010年10月にスタートしたことから歴史が始まっています。
当時は高額なEAの販売が主流となっている中、無料でEAを提供することは馴染みがなく、業界内でも大変な激震が起こりました。紆余曲折ございましたが、約3年の運営を経てEA提供サービスでは日本でナンバーワンにまでなる事が出来ました。
その後、2013年10月1日に無料のFXミラートレードサービスをスタート。さらにその一年後となる2014年10月1日には、自社初となるFXブローカー業務への進出としてGEMFOREXをリリース致しました。
はい、御社の歴史については準備段階からずっとウォッチしてきました(笑)正直、御社の経営スタイルはかなりリスクをとっている様に見受けられ、いつか潰れるのではないかとハラハラしておりました(笑)
山本: 創業当初よりお見守り頂きましてありがとうございます。確かに我々は急速に成長した企業なので、外側からはそういった風に見られる面があったことも否定できません(苦笑)
ただ、創業者の面々は経営に長けたメンバーの集まりで、日々変わりゆく環境の中で緻密な戦略、判断を繰り広げるのを目の当たりにして参りました。私自身、現在こうしてGEMグループの広報を担当していることに誇りを持っております。
なるほど。経営努力をされてきたのですね・・・
山本: 嬉しいお言葉有り難うございます!
海外FX業者のほとんどは、日本の金融庁のライセンスを取っていません。ですがそれは、最大レバレッジ25倍、ゼロカットやボーナスの禁止など、日本の法律内でFXサービスが展開することにメリットがないためです。
海外FX自体に違法性はまったくありません。
いえいえ(焦)、さて本題に戻りますが、そのあとの経緯を教えてください。
山本: その後、FXブローカー業務、GEMFOREXをスタートしてから4年目を迎えた時には海外FX業界としては中堅クラスにまで成長することができました。
その頃から、さらに上位のFXブローカーになるべく、ライバル業者に勝つために社内では経営戦略を練る日々が続いておりました。
その当時資金力もついてきた我々として新たに浮上してきた案として「企業ブランディング」の案が上がってきました。それが2018年10月ごろになります。
つまり、GEMFOREXスタート時はFXブローカー業務のノウハウ構築やシステムの強化等、やることがテンコ盛りだったのが、一つ一つクリアされ落ち着いたので、次に企業ブランディングの強化に至ったということですかね、、
山本: さすがFX業界トップの情報をお持ちの楠さんです、まさにその通りでございます。補足して頂きまして有難うございます。
GEMFOREXがアーリーステージからミドルステージとなり、ギアチェンジしているのは、当時から感じていました。さて、企業のブランディング案が社内ででてきた、そこからどう展開されたのですか?
※アーリステージ・・・起業したがマネタイズはこれからという状態。
※ミドルステージ・・・事業が黒字化し、成長が見えた段階。
山本: はい、我々もその頃には海外FXブローカーのライバル会社動向は知識としてありました、資金力のある海外FXブローカーにおいてよく行われる企業ブランディングとしてモータースポーツのFormula 1 (フォーミュラ1)やプレミアリーグ、リーガ・エスパニョーラなどの有名サッカーチームのスポンサーシップ契約をすることが定石としてよくありました。
私はその当時からGEMグループの広報を担当としていました、右へ倣えではないですが、そういった有名なスポーツショーのスポンサーになることはある種私自身の憧れでもありましたので、マネジメントチームに提案をしてみました。
なるほど、GEMFOREXはGLOBALにも展開している企業ですから、日本在住者以外のマーケットも意識した感じですか?
山本: はい、そのような視点もございました。Formula 1やプレミアリーグなどのスポーツはどの国でも圧倒的な知名度と人気を誇る分野なのでうってつけだと。またライバル業者さんが既に行なっている戦略なので、広告効果も期待できるのではないかと考えていたんです。
ふむふむ、その規模のスポンサーとなると巨額な資金が必要になりますから、多角的に考える必要がありますよね、それでマネジメントサイドの答えは?
山本: はい、仰る通り大きな予算がかかることが予想されますから、交渉が難航すると思っていたのですが、マネジメントチームはすぐにやろう、と即決して頂きました。
それはなぜなのでしょう?
山本: うーん.. 私もはっきりとしたことは申し上げることができず憶測でしかないのですが、当時GEMGROUPのマネジメントチームがとる戦略はことごとく当たっておりました。
そういった意味で ”ノっていた” というのが適切かもしれません。弊社マネジメントチームのここぞという時の攻め具合と、リスクをとるタイミングは私からみても時節すごいと思う時がございます。
おっとと、少しポジショントークが入りました?(笑)
山本: 申し訳ございません、一応広報担当ですので(笑)
笑!・・・そこからどうやって進めていったのですか?
山本: はい、すぐにインターネットで“F1 スポンサー” のような感じで検索していったのでが、モータースポーツの広告代理店をやっているサイトを発見してコンタクトをとりました。
海外の企業ですか?
山本: いえ、日本人の個人エージェントの方でした。守秘義務があるので多くは答えられないのですが、元F1ドライバーで、引退後からネットワークを生かしモータースポーツの広告代理店を副業でされていました。
その方によればすごく狭い業界だそうで、ほとんどのチームの方とは繋がっていると申しておりました。
なるほど、それは幸運でしたね。
山本: はい、非常にラッキーだと思いました。また、外国人の方と仕事をする機会が多いのですが、外国人の方は日本人に比べると大味なコミュニケーションの人が多いので、同じ日本人同士お伝えしたいことをすぐにご理解頂きまして、話がすごく早く進みました。
実際、その方からはどのような提案が上がったのですか?
山本:世界三大モータースポーツ
F1(フォーミュラ1)
WEC(世界耐久選手権)
インディカー
というものがあり、それらのレーシングマシーンにロゴを掲載できますよ、というお話を頂きました。
一気に世界への扉が開けましたね。F1は私も好きでよく見るのですが、日本の大企業もスポンサーになったりしてますよね。ちなみになんですが、当時、金融ライセンスの不保持*だった御社は審査的には問題なかったのでしょうか?FXproのようにF1のスポンサーになっている海外FXブローカーは大概金融ライセンスを保持していると認識しています。
※GEMFOREXは2019年6月にNZFSPを取得。
山本: はい、当時私も同じようなことを懸念しておりました。エージェントの方に相談して分かったのですが、モータースポーツ業界はお金が莫大にかかるスポーツで、とにかく数多くのスポンサーを必要としている業界なのだそうです。なので意外とコンプライアンスも緩く、オンラインゲーミングなどの分野もすでにスポンサーになっているので大丈夫だと思いますよ、という回答を頂きました。
平たくいえば、ブラックな仕事でなければ、お金さえだせばどのような企業でもスポンサーになれるというお話を伺いました。これは私たちにとって非常にラッキーな状況でしたね。
確かに命をかけたスポーツなので賞金も桁外れで、お金がかかるイメージはありますよね。
山本:はい。そこからそのエージェントの方と相談して、F1はスポンサー料金が数億〜数十億円と桁外れなので、まずはインディカーから攻めましょう、と提案されました。
なるほど。私はインディカーは聞いたことがなかったですがどんなスポーツなのでしょう?
山本:私もその時までインディカーは存じ上げておりませんでした。アメリカではF1以上に人気を誇るモータースポーツで、2003年から2011年までは日本でも開催されていたようです。日本で有名なレーシングドライバーといえば佐藤琢磨氏がおられますが、佐藤琢磨氏も現在インディカーに参戦しているそうです。
佐藤琢磨氏は有名ですよね。なるほど、それを聞くと何かピンときますね。知名度ってやはり大事ですね。
山本: はい、私もそう思います。そこからエージェントの中にインディカーのいくつかのチームに、オファーを出させて頂きました。その中からチップガナッシ、アンドレッティというチームに興味を持っていただき、返信があったと報告が上がりました。
エージェントは、先ほどお話にでました佐藤琢磨氏がかつて所属していたチームがチップガナッシ*ということで、そちらを特に強く進めて頂きました。というかエージェントの方が、我々のメインの顧客が日本人だということで、気を使って頂いてそのような提案をしてくれたようでした。
※チップ・ガナッシ・レーシング
アメリカ合衆国のレーシングチームの一つ。1990年に元インディカードライバーのチップ・ガナッシが設立した。本拠地はノースカロライナ州コンコード。日本人レーサー佐藤琢磨が所属していたことでも知られる。
(Wikipedia「チップ・ガナッシ・レーシング」一部参照)
確かにチップガナッシという名前は日本人の方は聞いてもピンときませんでしょうから、佐藤琢磨氏のイメージ経由で伝えるのが得策でしょうね。ちなみに、金額はいくらだったのでしょう?
山本:はい、2レースセットで100万ドル近い金額でございました。
さすがの金額ですね。
山本: 我々もそう思いました。結論から申し上げますと、このモータースポーツ広告の話はここで暗礁に乗り上げてしまいました。
なぜでしょう?
山本: マネジメントサイドも私も、インディカーをこれまで存じ上げたことがありませんでしたのでピンとこなかったこと、それに対して提示金額は高額に感じました。もしF1で同額でしたら採用していた可能性は高いです。
なるほど。そこまでの高額な予算を使うのですから、正しい判断だったと思います。
本題!マニーパッキャオのスポンサー就任秘話
モータースポーツでの線はなくなってしまったということですが、そこからどうマニーパッキャオに繋がっていったのでしょう?
山本: マニーパッキャオ案がでたのは、経営陣の一人からのふとした一言がきっかけでした。「そういえばフィリピンには国民的スターのマニーパッキャオがいましたよね」と。弊社内にはフィリピン人スタッフがおりまして、たったそれだけの理由からでした。
それはまた唐突な感じですね(笑)
山本: はい、弊社はベンチャーですので結構そんなヒラメキで話が進むことも多いです。そこからマネジメントサイドより、次はマニーパッキャオ案を進めてくれという指令がでました。
最初にそれを聞いた時どう思いましたか?マニーパッキャオはロートルとはいえ、確か、世紀の一戦*と呼ばれる試合をこなすほど世界的スーパースターですよね。
※世紀の一戦
フロイド・メイウェザー・ジュニア 対 マニー・パッキャオ戦は2015年5月2日にラスベガスのMGMグランドで開催されたボクシングの試合。36分で3億ドル(約360億円)もの巨額なマネーが動いたことでも知られる。
(Wikipedia「世紀の一戦」参照
山本: 正直私自身、これはある意味F1(フォーミュラ1)より難しい仕事だなと思いました。ただ、その時には何としてもGEMFOREXを世界的なブランドイメージにしたいとハートに火がついていましたので、与えられた仕事を全うしようと感じていました。
山本さんはなかなかガッツがありますね。それではいよいよ核心となる、マニーパッキャオスポンサー案までの道程を教えてください。
山本: そこからはフィリピン人スタッフと2人3脚で進めて行くことになりました。まず、マニーパッキャオ氏と接触するためには彼の所属する事務所がどこにあるのか、フィリピン現地のネットワークから誰か知り合いがいないか等、彼にリーチするための手段を手探り状態で色々調べました。
ほうほう、雲を掴むような話ですがどんな手がかりがみつかりましたか?
山本: 先ほど楠さんもおっしゃっていた、世紀の一戦をインターネット上で特集している記事がありました。その記事は「世紀の一戦の際、マニーパッキャオ氏のショーツに掲載されていたロゴのスポンサー費用はいくらだったのか?」ということを特集した記事でした。
それはまた、御社にとってぴったりの記事ですね。
山本: はい、どんな些細な情報も欲しかったので、熟読しました。その記事の中で、マニーパッキャオ氏の当時ビジネスマネージャーの名前がありました。
おおー、ついに糸口が見つかったわけですね。
山本: はい、その当時これだ!と心の中で叫んだのを鮮明に覚えております。エリック・ピネダ(Eric Pineda)氏という方なのですが、すぐに彼が現在どのような活動をしているのかリサーチ致しました。すると、エリック・ピネダ(Eric Pineda)氏はフィリピンの下院議員をやっていることを突き止めました。
なるほど、政治家さんだったのですね。
山本: はい、フィリピンでは知名度のある政治家のようでした。我々はすぐ彼の事務所を調べ訪問しました。
ザ・ベンチャーですね、行動力がありますね。
山本: そこに対しては本当に何のツテもみつからなかったので、当たって砕けろ、の精神でした(苦笑)
ピネダ氏の事務所に参りますと、多くの相談にきている人たちがいました。政治家は民衆の心を掴むために、もっと平たくいえば次の選挙に勝つ票を獲得するため、日頃から一般の方の相談にのっているようでした。
政治家の仕事もなかなか大変ですね。
山本: 私も同じようなことを思いました。学校へ資金を寄付して欲しいとか、子供が病気になったので病院代を工面してくれませんか、というような様々な相談がされていたようで、老若男女問わず出入りしていました。
ピネダ氏にとってはお金を出すほうの話ばかりということですね。その中で御社のアポイント内容はスポンサーなわけで、彼にとってインの話になりますからミーティングは意外とすんなりいったのでは?
山本: 一通り我々のビジネスモデルを説明し、熱くプレゼンをさせて頂いたのですが、最初は怪訝そうな顔をされました。
何が原因だったのでしょう?
山本: 世界的なスーパースター、マニーパッキャオ氏の広告主になることは、ブランドイメージ維持の観点から信用できる企業としか取引できないこと、もっといえば巨額なスポンサー費用が動くのでそれを捻出できる体力があるのか、という感じで足元を見られた感じでした。
なるほど。
山本:我々ももちろんそこでは諦めませんでした。そこから3,4度はピネダ氏の事務所に足繁く通ったのですが、我々の話はわかったけど、忙しいからまた今度にしてください、と徐々にかわされるようになってきました。事務所に行く前は、今日こそはと向かいつつ、帰りはいつも落胆していたのを覚えています。
そこをどう攻略していったのでしょう?
山本:フィリピン人スタッフと食事している時に、私の脳裏にふと閃光が舞い降りました。アンドレッティ、チップガナッシとスポンサー契約を進めていた時に、GEMFOREXのロゴをスポーツカーに掲載して実際こんなイメージで広告しますよ、とその当時のレーシングチームから頂いた画像があったことを思い出したのです。そのイメージ画像を見せることで彼を信用させることができるのでは?と思いました。
それはかなり説得力がありそうですね。
山本:はい、実際にそれが功を奏しました。次の訪問時にピネダ氏にそのイメージ画像を見せた時、今までは全く取り合ってくれなかったのとはうって変わるように具体的に話を聞いてくれました。
逆に彼の方から、マニーパッキャオのスポンサーになった時はショーツに企業ロゴがのるから、GEMFOREXのロゴはこの部分にこんな感じで掲載ができるよ、と紙で説明してくれるほど話に乗ってきてくれました。
エリック・ピネダ氏
ショーツのどの部分にGEMFOREXロゴを入れるか手書きで説明するエリック氏
やりましたね。
山本:はい、心の中ではガッツポーズをとっておりました。嬉しくてそのミーティングの後、すぐにマネジメントサイドに報告をしたことを覚えております。その後はトントン拍子に話が進み、エリック氏からマニーパッキャオ氏に今回の概要を説明して頂きまして、話を取りまとめて頂きました。
その時は2018年12月中旬でした。その翌月の2019年1月20日にマニー・パッキャオ VS エイドリアン・ブローナー戦があり、その試合時のショーツにロゴを掲載する、スポンサーの権利を得ました。
マニー・パッキャオ VS エイドリアン・ブローナー戦のVIPGUESTチケット
長い道のりでしたね、本当におめでとうございます。モータスポーツチームとの交渉を始めたのが、2018年10月でしたよね。そこからマニーパッキャオ氏のスポンサー権利を獲得されたのは2018年12月ですから、わずか3ヶ月の出来事だったわけですね。
山本: ありがとうございます。私自身、GEMグループとしても新たなステージに立つ上で非常に貴重な経験をすることができました。
なるほどー・・・。マニー・パッキャオ VS エイドリアン・ブローナー戦は観戦されたんですか?
山本: はい。ラスベガスのMGMで開催され、実際試合を観に参りました。興行試合とはいえ、世界の檜舞台でGEMFOREXがデビューできたことは私の胸を熱くさせました。
試合の一週間程度前に、マニーパッキャオチームから報告があったという実際のショーツ写真。ショーツには、彼が無名時代からスポンサーとして応援しているフィリピン企業のMOTOLITE(車関係サポート会社)、RICOA(ココア販売会社)2社と、GEMFOREXのロゴが掲載された。
この日マニーパッキャオは終始試合を有利に進め、判定勝ちした。
海外FX業界ではF1などがスポンサーになるのが一般的なスタイルだと先ほどお話にありましたが、マニーパッキャオ氏を広告塔で採用できたのは斬新だと思います。本当に凄いと思います。
山本:嬉しいお言葉ありがとうございます。これは、後から聞いたあくまで余談になってしまうのですが、マニーパッキャオ VS ブローナー戦の際のパッキャオ氏のショーツロゴ広告には、世界中から500社近くものオファーが届いていたようです。
マニーパッキャオ氏は彼が気に入らないとスポンサーを蹴ってしまうそうで、事実、その試合のショーツ全面部分にスポンサーロゴを掲載する予定であったアメリカ企業は試合数週間前に断られてしまったようです。その中で我々が選ばれたことは本当に光栄に思いました。
興味深いお話ですね。気難しいマニーパッキャオ、なぜ御社を採用してくれたと思いますか?
山本: マニーパッキャオ氏は好奇心の強い方で新しいものが好きなようです、また、彼自身、年齢も40歳を過ぎてそろそろセカンドキャリアを考えて様々なビジネス活動を行なっていて次のチャンスを常に探しているようです。事実、仮想通貨業界でも独自の仮想通貨コイン「パッキャオコイン」を作ったことは知られています。
エリック氏によれば、GEMFOREXのWebサイトを初めてみせた際、今までにない分野でのスポンサー企業からのオファーでもあり、一目ですぐに気に入って頂いたと言っておりました。直感力に優れているのかもしれません。
貧困からフィリピンの国民的スターにまで成り上がったのですから、生き馬の目を抜くしたたかさも持ち合わせているのでしょうね。いわゆる金の匂いがした、とか。笑
山本:はい、それもあると思います。マニーパッキャオ氏は我々のファウンダーが日本人であるということを聞いた時、目を輝かせていたと聞いております。東南アジアのフィリピン人からしますと、日本は豊かなイメージがあるのだと思います。
ボクシングはじめスポーツは、結局はビジネスですからね。そこはさすがのセンスですね(笑)
山本: 野生の勘が鋭いのでしょうね(笑)
その後からは、マニーパッキャオ氏とはどのような関係になっていったのでしょう?
山本: その後は、2019年7月20日のマニー・パッキャオVSキースサーマン戦(マニーパッキャオ判定勝ち)の際のショーツロゴのスポンサー話も頂くことができ、そこにも掲載させて頂きました。
その頃には良好な関係を築けておりましたので、GEMFOERXのイメージキャラクターになって頂きたい、というお話を提案させて頂きまして、そちらは二つ返事ですぐに締結することになりました。
付き合いを深めていき、マニー・パッキャオ氏がGEMFOREXのブランドアンバサダーに就任、までこぎつけたということですね!
※2019年7月マニー・パッキャオがGEMFOREXのイメージキャラクターに。
山本:はい、その通りでございます。
お話ありがとうございました、企業に歴史ありですね。
山本: とんでもないです。長い時間お話聞いて頂きましてありがとうございました。今後ともGEMFOREXの御愛好を何卒宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございました!
管理人のまとめ
今回は、前々から気になっていた「マニーパッキャオ氏がブランドアンバサダーに就任した裏側」についての取材でした!
GEMFOREXも、もうGEMTRADEの時代から数えると歴は10年近く。
その間には様々な経営努力があったのだなと、今回のインタビューで実感しました。
GEMFOREXは信頼性の面で云々言われることもあります。
あくまで私見ですが、世界的なボクサーであるマニーパッキャオ氏と契約できるほどの資金力や、これまでの経営姿勢から見ても、GEMFOREXが「急に倒産」や「資金の持ち逃げ」などするとは到底思えません。
今回の取材を通じ、個人的な疑問など率直に聞かせて頂いたのですが、結果的にGEMFOREXの信頼性が増すものになったと考えています。
また、今後もチャンスがあれば、GEMFOREXに取材にいきたいと思っています!その際はTwitterで告知させて頂きますので、フォローしておいてくださいね。
GEMFOREXの評判やスペックについて確認したい方、GEMFOREX公式ページに行きたい方は以下の記事を参考にしてみてください。